筆跡鑑定で漢字よりも数字とフリガナが手がかりになる理由|無意識に書く部分に「地」が出るという経験則と、その立証実務
文書の真正をめぐって筆跡が争点になるとき、相手方が真っ先に主張するのは「漢字の止め・はね・はらいが本人の筆跡と一致する」という事実です。鑑定人による筆跡鑑定書も、漢字の特徴的な部位を中心に対照を進めるのが一般的です。
しかし、漢字の筆跡だけを対照していては、見抜けない偽造があります。なぜなら、書類の偽造を試みる者は、自分が偽造する文字の中で最も目立つ部分、すなわち漢字の氏名に練習と注意を集中させるからです。本人の真正な署名を入手し、何度も書き写す練習を積めば、漢字部分の筆跡を相当程度模倣することは可能です。
これに対し、書面に書かれる数字や読み仮名(フリガナ)は、本人にとっても偽造者にとっても、無意識に書かれる部分です。署名する本人は、氏名は意識して書きますが、その隣に書く生年月日の数字、住所の番地、契約書の日付、フリガナ欄などは、長年の運筆の癖がそのまま現れる場面です。偽造者の場合も、漢字の練習に集中するあまり、これらの周辺記載部分まで本人の筆跡を再現することは、実務上ほとんど成し遂げられていません。
このページは、筆跡鑑定で漢字よりも数字とフリガナが手がかりとなる経験則の根拠と、これを文書真正の立証実務でどう活用するかを説明します。
1 漢字の筆跡は練習で模倣できる
筆跡鑑定の出発点として、漢字の筆跡は一定の練習で模倣可能であることを押さえておく必要があります。
書類の偽造を試みる者の典型的な行動は、本人の真正な署名が記載された書類(過去の契約書、申請書、領収書など)を入手し、その署名を何度も書き写すことです。練習を重ねれば、漢字の各画の太さ、止め・はね・はらいの形、文字の大きさや傾きを、本人の筆跡に近づけることはできます。
特に、本人の氏名漢字が比較的画数の少ない字で構成されている場合、模倣の難易度は下がります。「田中」「山本」「佐藤」など、画数が少なく字形も標準的な氏名は、注意深い練習により相当程度の類似が達成できます。
一方、画数の多い漢字、独特の字形を持つ漢字、本人独自の崩し方をする字については、模倣の難易度が上がります。しかし、それでも訓練を積めば、肉眼では本人の筆跡と区別がつかない水準に到達することは可能です。
漢字の筆跡だけを対照していては、模倣による偽造を見抜けないことがある。これが、筆跡鑑定実務における出発点です。
2 数字とフリガナは無意識に書かれる
漢字の氏名に対し、数字とフリガナは異なる性質を持ちます。
書類に書かれる数字は、生年月日、住所の番地、電話番号、契約金額、契約日、振込口座番号など、書類の周辺部に多く現れます。本人にとっても、これらは「書きながら考える対象」ではなく、長年の運筆の癖がそのまま出る部分です。
特に、数字の「5」「7」「9」「2」などは、書き手によって運筆方向が大きく異なります。「5」を書くとき、上の横棒から先に書くのか、左の縦棒から先に書くのか、書き順は本人ごとにほぼ固定されています。「7」も、横棒の始点と終点、縦棒との接続位置に個性が出ます。「2」の下のカーブ、「9」の上の丸の閉じ方、いずれも書き手の長年の習慣が反映されます。
フリガナ欄も同様です。氏名のフリガナは、書類作成のたびに繰り返し書く部分でありながら、本人にとっては「書く」というよりも「埋める」という感覚に近い記載部分です。一文字ずつ離して書く癖、続け字にする癖、特定のカタカナの形(「ロ」を四角く書くか縦長に書くか、「ン」の最終画の角度、「ノ」の払いの方向など)に、本人の筆跡が定着しています。
これらは、本人にとっては意識せず書く部分であり、同時に偽造者にとっては意識して練習する対象になりにくい部分でもあります。偽造者は本人の漢字氏名を書く練習に時間を使いますが、本人がどう数字を書き、どうフリガナを書くかまで研究して練習することは、実務上ほとんど見られません。
3 経験則の文献的根拠
「無意識に書かれる部分に書き手の個性が現れる」という経験則は、筆跡鑑定の文献で繰り返し論じられている事項です。
主な国内文献として、まず魚住和晃『筆跡鑑定入門』(芸術新聞社、2013年)があります。同書では、筆跡における個人の習慣性、無意識的に現れる運筆の癖、対照鑑定の方法などが論じられており、模倣されにくい部位の重要性が指摘されています。同著者による『筆跡鑑定ハンドブック』(三省堂、2007年)も、筆跡鑑定の手法を体系的に論じた書として参照されます。
また、根本寛『新筆跡鑑定──事件を見抜く筆跡心理学』(三和書籍、2015年)では、筆跡心理学の観点から、書き手の心理状態と筆跡の関係、模倣筆跡の特徴、無意識に現れる運筆の癖などが論じられています。
吉田公一『「科学」と「執念」で暴かれた偽造文書』(主婦と生活社、2023年)でも、文書鑑定の実例とともに、模倣筆跡の見抜き方が論じられています。
国際的な文献として、Ron Morris, Forensic Handwriting Identification: Fundamental Concepts and Principles(Academic Press、2000年)、Roy A. Huber and A. M. Headrick, Handwriting Identification: Facts and Fundamentals(CRC Press、1999年)などが、筆跡鑑定の基本書として参照されます。これらの書では、筆跡の習慣性(habituation)、無意識に現れる個人特徴、模倣筆跡の限界などが系統的に論じられています。
これらの文献を引用しつつ、本件の対照対象が漢字氏名だけでなく数字・フリガナを含めて行われるべきことを論じることで、立証の説得力が高まります。
4 数字に現れる本人の癖の具体例
数字の運筆に現れる本人の癖の具体例は次のとおりです。
「5」の書き方として、上の横棒を先に書くか縦棒を先に書くか、書き順による違いが現れます。本人の真正な書類を多数集めて対照すれば、本人がどの順序で「5」を書くかが固定的なパターンとして浮かび上がります。これに対し、偽造書類の「5」が反対の運筆方向で書かれている場合、本人の筆跡ではないと推認させる強い間接事実になります。
「7」の書き方として、横棒の始点と縦棒の交差位置、斜めの線の角度、終端の処理(止めるか払うか)に個性が出ます。
「2」の書き方として、上のカーブの始点位置、下の横棒との接続部の処理、横棒の終端の流れ方が、書き手によって異なります。
「9」の書き方として、上の丸を時計回りに書くか反時計回りに書くか、丸を完全に閉じるか開いて書くか、下の縦棒の角度などに個性が出ます。
「6」の書き方として、上から書き始めるか丸から書き始めるか、丸の大きさと縦棒の長さの比率に違いが現れます。
これらの数字は、書類の中で氏名漢字に注目していると見落とされがちな部分です。しかし、対照分析の対象として丁寧に取り上げれば、本人の筆跡か否かを判断する有力な材料になります。
5 フリガナに現れる本人の癖の具体例
フリガナ欄に現れる本人の癖の具体例も、次のように多様です。
カタカナの一文字一文字を離して書く癖と、続けて書く癖の違いが、まず注目すべき点です。本人が一貫して文字を離して書く人物であれば、フリガナ欄でも同様の運筆になっているはずです。逆に、流れるように続けて書く癖がある人物であれば、フリガナの各文字がつながった形になっています。
特定のカタカナの字形にも個性が出ます。「ロ」を完全な四角形で書くか、縦長または横長で書くか。「ン」の最終画を浅い角度で払うか、急な角度で書くか。「ノ」の払いを長く伸ばすか、短く止めるか。「リ」の二画の長さの比率、「シ」の三画の角度の取り方、「ツ」の三画の傾きの方向。これらすべてに、本人の長年の習慣が反映されます。
濁点・半濁点の打ち方にも違いが現れます。濁点を文字に近接して打つか離して打つか、二つの点の角度、半濁点の丸の大きさなど、書き手によって安定したパターンがあります。
これらは、フリガナ欄を漫然と眺めていては見えてこない違いですが、本人の真正書類のフリガナと比較対照すれば、明瞭に浮かび上がります。
6 立証実務上の手順
筆跡の対照を進める実務上の手順は次のとおりです。
第一に、争点となっている書面の原本を確保することです。コピーでは筆圧やインクの乾き具合などの細部が失われており、対照分析の精度が下がります。
第二に、本人の真正な書類を網羅的に収集することです。過去の契約書、申請書、預金通帳の届出印鑑票、運転免許証の更新申請、公的書類への署名記載、家族間の手紙やメモなど、本人が書いたことが争いなく明らかな書類を、できるだけ多く集めます。年代の異なるサンプルを集めることで、本人の筆跡の経年変化も把握できます。
第三に、対照分析の対象を漢字に限定せず、数字とフリガナに広げることです。漢字氏名だけを対照する分析では、模倣による偽造を見抜けない可能性があります。数字とフリガナの運筆を、各書類について丁寧に観察し、パターンを抽出します。
第四に、本人の真正書類における数字・フリガナの運筆パターンと、争点書類における数字・フリガナの運筆を対照することです。本人の真正書類では一貫して同じ運筆方向で書かれている数字が、争点書類では反対方向で書かれている、本人の真正書類ではフリガナが一文字ずつ離れて書かれているのに、争点書類では続け字になっている、といった違いがあれば、それは強力な間接事実です。
第五に、対照結果を画像と解説で記録することです。本人の真正書類の各部位と、争点書類の各部位を並べて示し、運筆の違いを矢印や注釈で明示した資料を作成します。これは、後の鑑定書や訴訟資料の基礎となります。
第六に、専門家による筆跡鑑定書を取得することです。素人による対照分析だけでは、裁判所の心証に届きにくい場合があります。筆跡鑑定の専門家が、対照書類の選定、運筆の分析、結論への論理展開を体系的にまとめた鑑定書は、訴訟での立証力が大きく異なります。
7 筆跡の経年変化への留意
筆跡の対照を進める際に留意すべきは、本人の筆跡も時間の経過とともに変化するということです。
二十代と五十代で、同じ人物の筆跡が完全に同じであることはまずありません。年齢を重ねるにつれて、文字が大きくなる傾向、筆圧が弱まる傾向、運筆が遅くなる傾向などが現れることがあります。手の不自由さ、視力の変化、健康状態の影響もあります。
したがって、争点書類の筆跡と対照する真正書類は、争点書類と同時期またはそれに近い時期のものを優先的に選ぶ必要があります。三十年前の真正書類と現在の争点書類を直接比較しても、本人の筆跡の経年変化なのか、別人の筆跡なのかの判別が困難になります。
また、特殊な状況下で書かれた書類(病気のときに書いたもの、酩酊時に書いたもの、ペンの種類が異なるもの)は、本人の通常の筆跡と異なる場合があります。これらは対照対象から除くか、特殊事情を踏まえた上で慎重に取り扱う必要があります。
8 反論への備え──請求側からの典型的反論
数字とフリガナの運筆異常を主張する側に対し、請求側からは次のような反論が出されることがあります。
第一に、数字やフリガナの違いは本人の筆跡の自然な変動の範囲内であるという反論です。本人も日によって数字の書き方が変わることがある、フリガナを急いで書けば続け字になることもある、という主張です。これに対しては、本人の真正書類における数字・フリガナの運筆が、複数のサンプルを通じて一貫したパターンを示しており、自然な変動の範囲を超える違いが争点書類に存在することを論じます。
第二に、数字やフリガナの対照は筆跡鑑定の中心的手法ではないという反論です。これに対しては、上述の筆跡鑑定の専門書を引用し、無意識に書かれる部分に書き手の個性が現れることが筆跡鑑定の基本原理として確立されていることを示します。
第三に、対照対象とした真正書類の信頼性を争う反論です。提出された真正書類が本当に本人の筆跡なのか、誰かに代筆させたものではないか、という疑問です。これに対しては、真正書類の入手経緯、作成状況、本人による真正押印の有無などを示し、対照対象の信頼性を裏付けます。
これらの反論への備えを訴訟戦略の中に組み込んでおくことで、数字・フリガナの運筆異常という間接事実を、訴訟全体の中で有効に機能させることができます。
9 他の間接事実との組合せ
数字・フリガナの運筆異常は、それ単体でも有力な間接事実となりますが、他の間接事実と組み合わせることで、立証はさらに堅固になります。組み合わせる対象として有用なものは次のとおりです。
漢字部分の筆跡の違和感として、漢字氏名の筆跡に「なぞり書き」の痕跡(運筆の震え、インクの不自然な溜まり、書き直しの跡)がある場合、それは練習による模倣の痕跡を示します。
書面の物理的状態として、書面の用紙の薄さ、本人の真正な署名を別の書類から透かし見て模倣した可能性を示す痕跡、複数の筆跡が混在することなどです。
押印の異常として、印影の完全一致、押印位置の異常、印鑑の傾きなどです。
本人の所在記録として、書面作成日とされる時点での本人の物理的所在が、書面作成現場と乖離していたことを示す記録です。
これらと数字・フリガナの運筆異常を組み合わせることで、書面が本人の真正な作成によるものではないことが、複数の独立した経路から推認される構図を作ることができます。
10 当事務所の取扱事例──数字とフリガナの運筆から書面真正を否定した経過
当事務所が原告側で受任した金融機関相手の事案に、過去の取引書類の真正成立を争った事案があります。
この事案で当事務所は、漢字氏名の筆跡対照に加えて、数字とフリガナの運筆を綿密に対照しました。
依頼者の真正書類を多数収集し、その中の数字「5」の運筆を一つずつ確認したところ、依頼者は一貫して特定の運筆方向で「5」を書く癖を持っていました。三十年以上にわたる複数の真正書類すべてで、この運筆方向が安定していました。
ところが、争点となっている書類では、複数箇所に書かれた「5」が、依頼者の真正書類とは反対の運筆方向で書かれていることが判明しました。長年の運筆の癖は、特殊事情なく反転することは生理的に考えにくく、これは別人による記載を示す強い間接事実として位置付けられました。
フリガナ欄についても同様の対照を行いました。依頼者の真正書類では、フリガナが一文字ずつ離して書かれる癖が一貫していました。これに対し、争点書類のフリガナは流れるような続け字で書かれており、書き手の運筆習慣が依頼者と異なることが浮かび上がりました。
漢字氏名の筆跡については、相手方は鑑定書を提出して類似性を主張していました。当事務所は、漢字筆跡の類似は練習による模倣で達成可能であり、無意識に書かれる数字とフリガナの運筆が依頼者の習慣と一致しないことが、漢字筆跡の類似性よりも強い意味を持つことを論じました。
これらの間接事実を、印影の物理的分析や本人の所在記録などと組み合わせて総合的に提示した結果、裁判所は争点となった書類の真正成立を否定する方向の判断を下しました。
この事例は、漢字氏名の筆跡だけに目を奪われていては見抜けない偽造でも、数字とフリガナという無意識に書かれる部分の対照を加えることで、本人の筆跡か否かを的確に判定できることを示すものです。
11 文書真正を争う立場の方が留意すべき事項
身に覚えのない契約書、覚書、領収書を相手方から提示されている方が、筆跡の対照という観点で留意すべき事項は次のとおりです。
第一に、争点書類だけでなく、本人の真正書類を網羅的に収集することです。三十年前の書類から最近の書類まで、年代を分散させて多数のサンプルを集めることで、本人の筆跡の安定したパターンと、それに反する争点書類の異常性が浮かび上がります。
第二に、漢字氏名の対照だけに頼らないことです。漢字は練習で模倣される可能性があるため、数字とフリガナの運筆も含めた多面的な対照が必要です。
第三に、本人の数字の書き方の癖を、自分自身で把握しておくことです。「5」をどう書くか、「7」の横棒をどう引くか、フリガナをどう続けるか。これらは本人にとって無意識の領域ですが、訴訟では具体的に説明する場面が出てきます。
第四に、専門家による筆跡鑑定書の取得を検討することです。素人による対照では、裁判所の心証に届かない場合があります。筆跡鑑定の専門家による分析と意見書は、訴訟での立証力を大きく高めます。
第五に、裁判戦略全体の中で筆跡論点を位置付けることです。筆跡の異常だけで勝負するのではなく、印影の異常、書面の物理的状態、本人の所在記録などと組み合わせて、書面の真正成立を否定する総合的な論述を進めることが、裁判所の心証に届く道筋です。
12 当事務所がお手伝いできること
当事務所は、文書真正をめぐる訴訟、特に筆跡の対照分析を伴う事案について、原告側・被告側の双方で対応経験を有しています。本人の真正書類の網羅的収集、漢字・数字・フリガナの多面的対照、筆跡鑑定の専門家による意見書取得、間接事実の組合せによる総合的な論述など、筆跡をめぐる立証実務に必要な作業を進めます。
身に覚えのない契約書や書面を相手方から提示されている方、筆跡の真正をめぐる争いに直面している方、相手方からの筆跡鑑定書に対する反論を検討している方は、次の資料をご持参のうえ、ご相談ください。
・問題となっている書面の写し(原本があれば原本) ・本人の真正な書類のサンプル(過去の契約書、申請書、家計簿、メモなど多数) ・本人の数字・フリガナの記載が見られる書類(運転免許証の更新申請書、保険申請書、預金通帳の届出書類など) ・既に取得している筆跡鑑定書、専門家意見書
漢字氏名の筆跡が一致しているという主張に向き合うとき、数字とフリガナの運筆こそが書面の真正を判断する手がかりとなる場合があります。練習で模倣可能な漢字よりも、無意識に書かれる数字とフリガナに、書き手の個性は明瞭に現れます。一度ご相談ください。
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