トレントの著作権侵害で示談交渉の通知が届いたとき、最初は1社からの請求だけだったのに、その後数週間から数か月のうちに、別の権利者からも請求が届くというケースが少なくありません。
これはトレントの仕組み上、避けがたい問題です。 トレントを利用していた期間中に複数のファイルをダウンロードしていれば、そのファイルごとに権利者が異なります。 各権利者は独自に監視システムを運用し、それぞれ別個に開示請求と損害賠償請求を進めるため、請求のタイミングもばらばらになります。
実務上、トレントの相談者のうち、最終的に1社のみの請求で終わるケースよりも、複数社からの請求を受けるケースの方が多い印象です。
ここで問題になるのは、1社目の請求に場当たり的に応じた後で2社目、3社目が来ると、すでに支払ってしまった金額との兼ね合いで交渉が窮屈になることです。 全体像を把握しないまま個別に対応すると、本来もっと合理的な解決ができたはずの事案で、不必要に大きな負担を抱えるおそれがあります。
本記事では、複数権利者から同時に請求が来た場合に、どのように全体を整理し、優先順位を判断し、支払原資を配分すべきかを、実務の観点から解説します。
1. なぜ複数の権利者から請求が来るのか
権利者ごとに監視・開示・請求のタイミングが異なる
トレントの著作権侵害では、各権利者(またはその代理人弁護士)が独自に監視システムを運用しています。 たとえば、AV制作会社A社、アニメ制作会社B社、映画配給会社C社がそれぞれ別個にIPアドレスを記録し、別個にプロバイダに開示請求をかけ、別個に損害賠償請求を行います。
そのため、A社からの請求が先に届き、その1か月後にB社から、さらに半年後にC社から届くということが起こります。
「もう終わった」と思った後に届くこともある
1社目との示談が成立して安心した後に、別の権利者から新たな請求が届くこともあります。 示談の清算条項はあくまでその示談の当事者間のものであり、他の権利者の請求を防ぐ効力はありません。
この点を理解していないと、1社目に全力で支払った結果、2社目以降への対応原資が枯渇するという事態が起こり得ます。
2. 場当たり的に1社ずつ対応することの問題
支払原資の偏り
たとえば、手元に60万円の支払原資がある場合を考えます。
1社目から50万円の示談提案が届き、不安から応じてしまうと、残りは10万円です。 その後2社目から同じく50万円の請求が届いた場合、交渉の余地が極めて狭くなります。
仮に全体像を最初から把握できていれば、各社に対して裁判例を踏まえた適正額での交渉を並行して進め、合計額をコントロールできた可能性があります。
交渉条件の不整合
1社目に高い金額で合意した場合、2社目以降の交渉で「A社にはこの金額で応じたのだから、うちにも同水準で」と言われることがあります。
逆に、1社目に安い金額で合意できた場合でも、その事実は他の権利者には関係ないため、必ずしも有利な先例にはなりません。
各社との交渉は独立ですが、結果としての合計額は利用者の生活に直結します。 だからこそ、個別最適ではなく全体最適を意識する必要があります。
対応の遅れ
複数の請求が来ると、精神的な負担から対応が後手に回ることがあります。 1社目の対応に追われている間に2社目の回答期限が過ぎ、3社目の書面を放置してしまうというパターンは珍しくありません。
放置した権利者が訴訟に踏み切った場合、示談で解決できたはずの条件より不利な結果になることがあります。
3. 全体像の把握が最優先
複数権利者からの請求に対応する場合、最初にすべきことは、現時点で把握できる全体像を整理することです。
(1)請求元の一覧
どの権利者(またはその代理人弁護士)から、どの作品について、いくらの請求が来ているかを一覧にします。 まだ届いていない権利者からの請求が今後届く可能性があるかも検討します。
(2)各請求の段階
請求ごとに、現在どの段階にあるかを確認します。
意見照会書の段階か、開示後の示談提案の段階か、回答期限が設定されているか、すでに期限を過ぎているか。
段階によって対応の緊急度が異なります。
(3)支払原資の総額
全社への支払いに充てられる原資がいくらあるかを現実的に把握します。 1社ずつ見ると「払えるかもしれない」と感じても、合計すると非現実的な金額になることがあります。
この現実を直視することが、交渉方針を立てるうえで不可欠です。
4. 優先順位の考え方
すべての権利者に同時に同じ力で対応できるとは限りません。 以下のような観点で優先順位を検討します。
回答期限の緊急度
期限が最も近い請求から対応の順序を決めるのが基本です。 ただし、期限が近いからといって、内容を確認しないまま応じてよいわけではありません。
権利者側の対応姿勢
権利者(代理人)によって、交渉に応じる姿勢は異なります。 柔軟な交渉が期待できる相手と、定型的な金額を崩さない相手とでは、対応方針が変わります。
訴訟リスクの程度
過去に実際に訴訟を提起している権利者と、ほとんど訴訟に至らない権利者とでは、放置した場合のリスクが異なります。 この判断には、各権利者の過去の行動パターンに関する実務的な知見が必要です。
作品数と算定額
1作品のみの請求と、多数作品の請求とでは、交渉の方法も変わります。 裁判例に照らした1作品あたりの適正額を踏まえ、合計額の見通しを立てることが重要です。
5. 支払原資の配分という視点
複数権利者への対応では、「各社にいくらずつ払うか」ではなく、「合計でいくらまで支払えるか」という視点で考えることが重要です。
合計額から逆算する
たとえば、合計の支払原資が80万円で、3社からの請求がある場合、各社に均等に配分するのか、リスクの高い順に傾斜配分するのか、裁判例を踏まえた適正額が低い案件は減額交渉を優先するのか、といった判断が必要になります。
分割払いの活用
1社に対する一括払いが難しい場合でも、複数社に対する分割払いを並行して交渉することで、月々の負担を現実的な範囲に収められることがあります。 ただし、分割の条件(遅延時の一括請求条項など)は合意書ごとに異なるため、全体を見たうえで管理する必要があります。
支払不能の場合
すべての請求に応じることが現実的に不可能な場合は、債務整理の検討も視野に入ります。 この判断は、トレントの損害賠償だけでなく、他の債務や生活状況を含めた総合的な評価が必要です。
6. 複数権利者への対応で避けたいこと
1社目に全額を使い切ること
最初の請求に動揺して提示額どおり支払い、後から届いた請求に対応できなくなるのは、最も避けたい展開です。
権利者ごとに異なる弁護士に依頼すること
権利者Aの件はX弁護士に、権利者Bの件はY弁護士に、という対応は、全体の整合がとれなくなるリスクがあります。 1人の弁護士が全体を把握して交渉する方が、支払原資の配分や各社との交渉条件の調整が一貫します。
「まだ来ていない権利者」を無視すること
現時点で届いている請求だけを見て対応し、今後届く可能性のある請求を考慮しないと、後から計画が崩れることがあります。
7. 整理しておきたい情報
請求一覧: 各権利者名(代理人名)、対象作品、請求金額、回答期限、現在の段階。
支払原資: 手元資金、月々の返済可能額、他の債務の有無。
利用状況: トレントを利用していた期間、ダウンロードした作品のジャンルとおおまかな数、利用を停止した時期。
書面関係: 各権利者からの通知書一式、意見照会書への回答内容、これまでのやり取り。
まとめ
トレントの著作権侵害で複数の権利者から請求を受けた場合、最も重要なのは全体像の把握です。
1社ずつ場当たり的に対応すると、支払原資の偏り、交渉条件の不整合、対応の遅れが生じやすい。 全社の請求を一覧化し、支払原資の総額から逆算して配分を考える必要がある。 優先順位は、期限の緊急度、訴訟リスク、交渉の余地を総合して判断する。 1社目に全額を使い切ることが、最も避けたい展開である。
1社目の請求に応じた後で2社目が届き、「先に全体を見ておけばよかった」と後悔する方は少なくありません。 複数の権利者からの請求が届いている方、または今後届く可能性がある方は、個別の請求に応じる前に、まず全体像を整理することをおすすめします。
よくある質問
1社と示談したら、他の権利者からは請求が来なくなりますか。 なりません。示談の清算条項はその当事者間の合意であり、他の権利者の請求を防ぐ効力はありません。1社との示談後に別の権利者から新たな請求が届くことは実務上よくあります。
全部でいくらになるか見通しは立てられますか。 裁判例を踏まえた1作品あたりの適正額と、対象作品数をもとに、合計額の見通しをある程度立てることは可能です。ただし、権利者ごとの対応姿勢によって幅があるため、確定的な金額を事前に示すことは難しい場合もあります。
払えない場合はどうなりますか。 すべての請求に応じることが現実的に不可能な場合は、分割払いの交渉や、場合によっては債務整理の検討も選択肢に入ります。放置するよりも、支払可能な範囲を明示して交渉する方が、結果的に有利な条件につながることがあります。
複数の権利者への対応を1人の弁護士にまとめて依頼できますか。 可能です。むしろ、全体の支払原資の配分や各社との交渉条件の調整を一貫して管理するためには、1人の弁護士が全体を把握する方が合理的です。
今は1社からしか来ていませんが、今後増える可能性はありますか。 トレントを利用していた期間中に複数のファイルをダウンロードしていれば、今後別の権利者から請求が届く可能性はあります。1社目の対応を決める際に、その可能性も含めて全体の見通しを立てておくことが重要です。
