「完璧な証拠」への反証


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はじめに

「身に覚えのない借金を請求されている」という相談を受けることがある。話を聞いていくと、家族が本人名義で借り入れをしていた、というのが典型的なパターンである。本人は知らないうちに債務者にされている。

このような事件で、相手が消費者金融であれば交渉の余地がある場合も多い。問題は相手が銀行の場合である。銀行は記録を残す。契約書、本人確認書類、取引履歴。何十年分もの記録が出てくる。

さらに、銀行側から実印が押された契約書と筆跡鑑定書が出てくると、話は難しくなる。実印押印には二段の推定が働く。印影が本人の印章によるものであれば本人の意思に基づく押印と推定され、押印があれば文書全体の成立の真正が推定される。そこに筆跡鑑定書が加われば、反証のハードルはさらに上がる。

今回はそのような事件を担当した際に、どのような間接事実を積み上げて反証を試みたかを紹介する。

立証の方針

依頼者は「自分は署名していない」と言う。しかし、それだけでは裁判所は動かない。本人が署名していないなら、誰がどのように書類を作成したのか。その過程を間接事実から推認させる必要がある。

この事件では、2つの柱を立てた。第一に、本人の関与なく書類が作成されたこと。第二に、その過程に銀行担当者が関与していたこと。いずれも直接証拠はない。状況証拠を積み上げるしかなかった。

印影の転写を推認させる事実

契約書を精査していて、訂正印に目が止まった。契約書の複数箇所に押された訂正印をスキャンして重ねてみた。すると、インクの滲みから輪郭の微細な欠けまで完全に一致した。

ハンコを押すとき、力加減やインクの量は毎回異なる。紙の状態も違う。だから、同じハンコを使っても印影は毎回微妙に変わる。滲み方まで完全に一致することは、通常の押印ではあり得ない。一方の印影をスキャンして他方に転写したと考えるほかなかった。

押印欄と印影の組み合わせにも不自然な点があった。詳細は伏せるが、本人が銀行員の前で押印したのであれば起こり得ない間違いである。本人がいない場所で、別の人間が押印作業をしたことを推認させる事実であった。

署名のなぞり書きを推認させる事実

契約書の紙が通常より薄いことに気づいた。銀行の重要書類にしては薄すぎる。裏の文字が透けて見えるほどであった。

この薄さであれば、本物の署名の上に紙を重ねるだけで下が透ける。それをなぞれば筆跡を模倣できる。透写、いわゆるトレースである。署名部分を観察すると、なぞり書き特有の線の乱れが見られた。

なぜ銀行がわざわざ薄い紙を使ったのか。通常業務で使う紙ではないはずである。署名を偽造するために選ばれた可能性がある。

署名者が本人でないことを推認させる事実

銀行側は筆跡鑑定書を提出し、署名の特徴が一致すると主張した。確かに漢字の形は似ている。しかし、漢字は練習すれば似せられる。

私が注目したのは、数字とフリガナであった。これらは無意識に書く部分であり、本人も気づいていない癖が出やすい。

本人の過去の書類を可能な限り収集した。預金口座の届出書、届出印の変更届、その他本人が書いたことが確実な書類である。これらを並べて筆癖を分析すると、問題の契約書とは無意識に出る部分が異なっていた。漢字は似せることができても、数字やフリガナで「地」が出ていた。

銀行担当者の関与を推認させる事実

仮に家族が署名を偽造したとしても、それだけでは銀行から借り入れはできない。銀行の内部手続を通過する必要がある。本人確認はどうなっていたのか。

この事件では、取引履歴に不自然な点が見つかった。残高不足で引き落としができなかった記録の後に、同日付で引き落としが完了している。資金の出所を追うと、後日に別口座から入金されていた。

これは、後から日付を遡って処理しなければ説明がつかない。そのような操作は銀行担当者でなければできない。

遅延損害金の入金にも不自然な点があった。延滞すれば遅延損害金が発生するが、その金額は返済日が確定しないと計算できない。にもかかわらず、返済日より前に、端数まで一致する金額が入金されていた。返済日を事前に決めていなければ不可能である。銀行担当者と事前に打ち合わせていたことを推認させる。

おわりに

実印が押されている、筆跡鑑定で一致している。そう言われると、反論は難しいように思える。しかし、書類を丁寧に見ていくと、偽造の痕跡は残っている。印影の滲み、紙の厚さ、無意識の筆癖、取引履歴の矛盾。一つ一つは小さな違和感であるが、それを拾い上げて論理的に組み立てれば、反証の糸口は見えてくる。


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